子ども達にはいつも目をギラギラとさせて意欲のある顔をしていてほしい。いつもそう願っている。これから先の人生で彼らを待っているであろうたくさんの試練に対し、そっぽを向いたり逃げ出したりせずに、先ずは自分で切り拓き乗り越えてゆこうと思う気持ちを育ててやりたい。私たち保育者は、子ども達の人生の一番はじめのこの人格形成期に「真(ほんとう)に必要な体験は何なのか」を時代の変化と共にひたすら追求し続けなければならない。意欲のある素敵な表情は、自然の中に足を運び「痛いとか、汚いとかの体験を通じて」命をはじめとする様々な環境を自分で認識させ、太陽の下で自由に体を動かし、お腹が空いてうまい飯を食べ、ぐっすりと眠る。このプラスのサイクルから生まれてくるのだと信じている。

今から約15年前、託児所に息子を預けて働く保護者の1人だった私は、与えられたおもちゃやビデオで遊ぶ息子を見て、大きな疑問と大きな不安を抱いた。我が子だけではなく、現代の子ども達が「にんげん力」にあふれる人へと育ってゆくために、真(ほんとう)に必要な体験は何なのか?を本気で考え、日常から真(ほんとう)に必要な体験を提供する保育園を創ろうと心に誓ったのだった。


携帯電話やメールなどの多くの便利なものが猛スピードで普及し、面と向かって相手の目を見て自分の意思を伝える機会も減る一方だ。だからこそ、自分の熱い気持ちを同じだけの温度で相手に伝えることのできる人になってほしい。この力がないまま大人になってしまったら、その子の人生は不完全燃焼で終わってしまうかもしれない。しかし、この力さえあれば、自分の行動に納得して強く生き抜いてゆけるに違いないと思う。

「自分の熱い気持ちを同じだけの温度で相手に伝えることのできる人になってもらう」ためには、子どもの人格形成の最も大切な時期を関わる我々保育者が、子ども達に心ごと裸でぶつかってゆかなければ全くもって意味がない。だからこそ、私たちは「銭湯でお風呂の日=保育者と子どもの裸の付き合い」を大切にし、「ポピンズ農園の畑仕事」では実際に畑を耕して見せ、「散歩の道中」では立ち止まって大きな声ですれ違った人に挨拶を交わし、「公園」では実際に走り回って遊んで見せる。どんなときも「背中を見せること」を忘れてはならないのである。

保育サービスの多様化が進み、親は保育園を選ぶ時代がやってきた。その子のことを世界でいちばん愛している"大人の"保護者に対して「園のやり方に合わせてくれないと困ります」とか「それじゃ子どもがかわいそう」とか保育士の主観で説教をするのはナンセンスだと思う。親が、一人の大人として、一人の人間として、子どもの親として、子どもにとっていいと思うことを自由に探し、時に子どもにとってよくないことにも気づき、子どもにとって必要だと思うことを自由に与えてあげるために、保育園を利用するべきなのだと私は考えている。